※この連載は17年11月21日~18年3月2日東京スポーツに掲載されたものです
連載「TANABE RUN!!」
【31】「乗りやすい馬ではなかった」クラレントで関屋記念制覇
前回まで田辺裕信とコパノリッキーの物語を続けてお届けした。残すは2017年のチャンピオンズCと東京大賞典だけになるのだが、その話はまた追って記すとして、今回は少しだけ時計の針を戻してみたい。
14年、コパノリッキーでフェブラリーSを制し自身初のGⅠ勝利を記録した田辺。この年は以前記したヴェルデグリーンによるAJCC制覇など、重賞を計6勝してみせた。
「メイショウナルトで七夕賞を勝たせてもらったけど、この馬は小倉記念を勝っている馬でしたからね。良い馬に乗せていただいたという感じでした」
そのうちの1勝についてはそう語った。さらにもう1頭、クラレントについて伺った。
「クラレントは当時、橋口弘次郎厩舎(その後、橋口慎介キュウ舎に転厩)の馬でした。オーナーは前田晋二さん。この少し前あたりから橋口先生やノースヒルズの馬で結果を残せるようになり、少しずつ頼まれる回数も増えていきました」
そんな中で依頼されたのが、関屋記念に出走するクラレントだった。
「全く乗ったことはなかったけど、それまでに重賞をいくつも勝っている馬だったし、上手に誘導してあげられれば十分にチャンスはあると思って騎乗しました」
田辺がそう言うように、11年に2歳でデビューした同馬は、2戦目でいきなり重賞(GⅡデイリー杯2歳S)を制覇。その後もコンスタントに勝ち、12年にはGⅢ富士S、13年にはGⅢ東京新聞杯とGⅢエプソムCを優勝。重賞を4つも勝っている馬だった。
「いざ乗ってみるとひっかかるし、決して乗りやすい馬ではありませんでした」
それでも関屋記念を見事に制してみせた。それも3か月と少し後にGⅠマイルチャンピオンシップを優勝するダノンシャークに半馬身の差をつけて優勝すると、続く京成杯AHではサトノギャラントに次ぐ2番人気に支持されての出走となった。
大きな夢がかかったレース
「簡単ではなかったけど、能力の高さは感じる馬だったし、京成杯でも当然、引き続きチャンスと思っていました」
ちなみにこの京成杯AH、田辺にはひとつの大きな夢の実現がかかったレースとなった。
前記の通り、七夕賞や関屋記念も制していた田辺。この京成杯AHも1着なら、サマージョッキーズシリーズのチャンピオンが決定する。そんな立場での参戦となっていた。
そして、その座に就ければ、大きなご褒美が待っていた。
現在は夏の札幌開催の目玉となっているワールドオールスタージョッキーズ。これの前身であるワールドスーパージョッキーズシリーズが、当時は12月に行われていた。その枠に名を連ねられるのは基本的にはその年の勝利数上位者だったが、特別枠としてこのサマージョッキーズシリーズで1位になった騎手も出場できることになっていたのだ。(文中敬称略・ライター平松さとし)
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